昭和48年03月11日 特別奉修委員



  (録音悪い)

 徹することだと思うんですね。それは全ての事に徹すると言う様な事ではなくて、せめてこの事だけはと言った様なものがなからなければならない。それはだから( ? )。これだけはという徹したものがない。(?)中村さんの、昨日月次祭にお参りさせてもらい(?)、丁度ご主人の帰りが遅かった。まあ今朝からの(?)の中に(?)。それだけ心にかかるほどしに熱心な信心をしておられると言う事なんです。それがかからんようになったら(?)それが心にかかるほどしになっておられる。
 信心が、神様のほうに向かってできておられる、熱心なのですから、なら例えばもう月次祭がもし終わっとっても、ちょっと御礼参拝をさせてもらおうと言う事で日田から参ってきたんですね。月次祭に参ると決めたらですよ、そう言う事がいるんじゃないでしょうか。とりわけ、(?)自分で運転してみえるんですから、夫が寝てるわけです。
  (音声不良)
 もう本当に最近、五つの願いの中に、人を責めないということをね、まあ徹底して行じさせてもらいます(?)。そのことの素晴らしい事の体験が、このやっぱり(?)に現れてくる。ですから教えを行ずると言う事は楽しいことであり、おかげ頂くと言う事であると同時に、(?)特に自転車で追いかけられおる、大きな犬が出てきて追いかけられた、それからね、(?)犬が。
 それでもね、そのこう犬でもやっぱり責めてはいけんと言う事がもう、すぐこう、頭にひらめいたとこういう。だから親先生、親先生(?)お願いさせて頂いたら、もう本当にもう食い下がってきよった犬がくりっと返ってですね、もう他んとこさ行ったというお届けをしておられましたが、本当に徹底するというのはやっぱり、犬猫の(?)そんぐらい徹底しなきゃいけない。
 私共も、人は責めまいけれどもね、猫なんかもう毎日責めておるわけです。もうしょっちゅう(?)時分にこたつの前に入ってくるわけです。しかももう私が座るところにちゃんと座っておる。もう本当に、もうそれこそ、この閉めとるところに障子破って入ってくる。それでも、これをですね責めずにしたら、もう犬にでも通じるのじゃけん、猫にでも通じるじゃろうと思ってからね。
 それを聞かせていただいてから、こうあの猫も責めてはならない(?)ですけれどもね、久保山さんなんかは、もう責めないというたら犬でも責めないという風に徹底しておられる。とにかく信心ちゃあ徹底すること、徹すること。だからね、そのあれにもこれにもと言う事は無かってすから、その人なりの信心で、これだけはというものをね、徹しぬかせて頂きたい。